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絵置き場

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いぬのおはなし

ふと文章がかきたくなり、どんなん描こうとつぶやいたところ、
「犬視点の日常」というお題をどみ様から頂いたので書いてみました。
よろしければ、読んで、感想をいただければと思います。



 私の名前はポチである。名前はもうある。ポチである。
 中肉中背の体は、思わずふれたくなるほどのもっふもふの茶色い毛に覆われている。口元から腹にかけては白い毛が生えているのがキュートなのである。正円を描くかのように丸まる尻尾など、完璧なのである。パーフェクトである。「おうごんひ」である。意味は知らぬ。
 ともかく私は世にいう中型犬。父も母も血統書付きの、れっきとした柴犬である。
 ちなみにオスである。世のすべてのメスたちは、私の魅力にメロメロである。犬のメスに出会ったことはないがそうに違いない。少なくとも、私のご主人はそうだった。
 ご主人は、狭い箱の中にいる私を見た瞬間にこう言った。
「あなたはポチよ!」
 初対面のこの私に、いきなり、とてもありきたりな名前をつけた。まことに遺憾である。
 そうだ。ご主人だ。完璧な私にあえて欠点をあげるとしたら、ご主人なのだ。
 ご主人はバカである。愚鈍である。無知蒙昧である。
 日頃のドジはお手のもの。この間はドッグフードとキャットフードを間違えて買ってきた。ありえぬ。左右違う靴下を履いてでかけたことが数回。帰る度にこれはファッションなんだからと、鏡に向かって言い訳をしていた。
 この前など、窓にうつった裸電球を見て満月がでてるなどとのたまわっていた。それだけならともかく、私に変身しないのか尋ねてきた。狼男かご主人よ。それだと逆だし、私は犬だ。

 現在、大学から帰ってきたご主人は、私にキャットフードの入った器を差し出しながら、私におすわりを強要している。ご主人よ、まだ気づいていないのか。包み紙に描かれた動物がご主人には犬に見えるのか。私は座って尻尾を振りながらため息をついた。
 このように、間抜けで阿呆なご主人ではあるが。そんな彼女にも良いところはある。ご主人は、「なでなで」が異常にうまい。それはもう卑怯といっていいほどに。
 おてとおかわりを遂行し、「良し」の号令を受けてキャットフードを渋々完食した私に、ご主人は「全部食べたの?偉いね」と笑いかけた。
 そして、そのゴッドハンドで私の全身を撫で始めた。ふれたところからとろけてくるような暖かさ、ツボを完全に押さえたその動き、かゆいところまで手が届くとは文字通りこのことではないだろうか。私は思わず目を細め、彼女に身をゆだねた。
 完璧な私がおとなしく彼女に飼われているのも、ひとえにこの「なでなで」の麻薬的快感のせいだ。快楽に負けるとは、我が人生最大の汚点である。
 ご主人は三分ほど私を撫で回したあと、手を止めて時計をみた。
 おいご主人、いつもは五分は撫でているのではないか。もっと撫でたまえと、私はご主人の手にすりよったり、彼女の腕に前足を乗せてみたりするが、ご主人はどこか上の空。そわそわした様子で部屋を見渡している。
 その視線が何かをとらえたらしい。ご主人は撫でられモードに完全移行した私をおいて――まことに不本意であるが――視線の先に歩いていった。
 そこに落ちていたのは小さな紙クズ。ご主人はそれを拾い、クズかごに捨て、あぶないあぶないと息をついた。
 はて、と私は首を傾げた。ご主人はそこそこの綺麗好きではあるが、ここまで潔癖ではないのを私は知っている。 なぜ急に細かいゴミが気になり始めたのか。その理由を、私は数分後に知ることとなる。

 誰だ貴様。と私はケージの中で吠えている。客人がきたら尻尾を振るという義務感から、尾は荒々しくも見事な振り具合ではあるが、私は全くもって歓迎していない。
 ケージに入れられた私をちょっと困った顔でみながら、ご主人は私を叱る。その顔は卑怯である。笑顔じゃないご主人など見たくないのだ。私が仕方なく大人しくすると、ご主人は客人にごめんねと向き直った。
 客人は、男だった。
 背が高く細身。男にしては長めの髪の間から整った顔立ちがのぞく。なるほど、いわゆる「いけめん」というやつだ。こんななよなよしたオスの何が良いのかさっぱりわからぬが。
 男は「かまわないよ」と笑顔をご主人に向けて「かわいい犬だね」とか「言うこときいて偉いね」などとわかりきったことをのたまわっている。ご主人はそれに気を良くした様子で破顔する。
 そのまま二人は談笑をはじめる。男は美辞麗句を並べてご主人をとにかく褒めた。顔が可愛いね。部屋が綺麗だね。その服が色っぽいね。とにかく素敵だよ。と。なんとまあ薄っぺらな言葉の羅列だろう。ご主人のかくも阿呆な中身については何もふれていないではないか。もっとこう、心に届くような口説き文句は言えないものか。震えるような台詞を吐けぬものか。それより、あまりご主人に近づくな。テーブルを挟んで正面に座っていたはずなのに、なぜいつのまにか肩が触れるような距離に座っているのだ。
 私が男に憤慨している間に、ご主人はトイレに立った。男慣れしていないご主人のことだ。近すぎる距離間に戸惑ったのだろう。不憫だ。
 ご主人がいなくなったやいなや、男は私に向かって悪態をつきはじめた。豹変である。よりにもよって品行方正、容姿端麗な私に、うるさい犬だの、可愛くない犬だのと暴言を吐いた。ああ小さく愚かなオスだ。これがご主人と私の家に上がっていると考えると、とても残念な気分になった。
 寛大な私は黙って男をにらみつけているだけでとどめておいた。のだが。
「あーあ、馬鹿なんだからさっさと抱かせろよなー」
の言葉を聞いた瞬間、私は男に対しての印象が地に落ち、そこから地割れでマントルまで下落した。燃え尽きてしまえ。
 我がご主人は底知れぬ阿呆ではあるが、貴様のような男に馬鹿呼ばわりされる程阿呆ではない。さっさと抱かせろというのはなんだ。貴様は盛りのついた犬か。だいたい、ご主人を馬鹿にしてよいのは私だけだ。
 ご主人が戻ってきた。男は相変わらず近寄る。触れる。困ったご主人が謝り、離れようとするが、その手をつかみ、強引に引き寄せた。ご主人は恐怖に固まり動けない。
 私は吠えた。その手に触れるな愚か者め。最高の撫で撫でをしてくれるその手に、不器用だが優しい手に、幼い頃の私を救ってくれたその手に、乱暴に触れるなど私が許さぬ。
 押し倒されて、嫌がるご主人が私に助けを求めたところで、私はケージの扉を体当たりで破壊した。


 私は犬である。名前はまだない。私は世にいう中型犬。父も母も血統書付きの、れっきとした柴犬である。
 だが、両親からは引き離されて、買い手がつくのを待っていた。買い手がついたと思ったら、子供へのプレゼントにされ、世話も食事も飽きられて、一年後に捨てられた。動く気力もなく、私は段ボールの中で小さく呻いていた。空腹と死への恐怖を朦朧とした意識の中感じていた私を抱いて、今のご主人はこう言った。
「あなたはポチよ!」
 当時人間嫌いだった私だが、その手の暖かさと、ご主人の良いにおい、抱きかたのあまりの見事さに動揺し、空腹も手伝ってか身動きがとれずにいた。
 噛みつこうとする気力もなく、抵抗もできず撫でられた。気づいたら残った力を振り絞って尻尾を振っていた。
 まことに遺憾である。


 尻に歯形をつけた男が家から出ていったのち、ご主人は泣いていた。私は玄関に向かってうなり声をあげている。
 以前にもご主人が家に男を連れてきたことがあった。
まだまだ人間嫌いの治ってなかった私は吠えて、ご主人を困らせたのだ。その反省をふまえて、少し大人しくしていたのが失敗だった。
 であるから、私は今後人間のオスがきたら大声で吠え、うなり声をあげ、全力で追い払うことを、ここに宣言するのである。
 ご主人はバカである。捨てられていた私を拾わなければ、すぐにどこかのオスとつがいになれていたのかもしれないのだ。
 だがもう遅い。私の目が黒いうちはそうはさせぬ。このバカで哀れななご主人と、才色兼備な私の面倒を、ちゃんと見てくれそうなオスが現れるまでは、いくらでも邪魔をしてやろう。
 ご主人は潤んだ瞳をこちらに向けている。仕方がないので私はご主人に歩み寄る。ご主人の暖かい腕が、私の背にまわる。私はご主人の肩に両腕をのせて、顔を正面に置く。
 邪魔をした代わりといってはなんだが、思う存分私をぎゅっとさせてやろう。更に顔面ペロペロのサービスである。こら、ご主人、泣くな。しょっぱいぞ。だが我慢してなめ続けてやろう。ありがたく思え、ご主人よ。
 ひとしきり、塩辛い水を私に飲ませたあと、ご主人はくすりと笑う。
「あなたが人間だったら良かったのにね」と言いながらご主人は私を撫で回す。相変わらず完璧になでなでポイントを把握した、卑怯な撫で方だ。
「大好きだよー ぽちー」
 鼻声で言うその言葉に、不覚にも私はどきりとしてしまう。うむ。なんだ。改めて言われると照れるのである。だが私は紳士なのでその言葉をきちんと受け止めて返すのだ。私もご主人が好きだぞ。という意味をこめて――
 ――私は小さく「わん」と吠えた。

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